諏訪の古代史を訪ねて(9)守屋山と前宮

杖突峠を少し下った先の守屋登山口バス停にある駐車場にクルマを止めず、さらに先から林道に入り、分杭平までクルマで登った。分杭平までは途中から未舗装になったが、私は未舗装林道を得意としていたので十分楽しむことができた。本来なら、杖突峠から登山道を風景を感じながら歩いて登りたいところだが、時間という制約がある。悔いめいた気持ちはなくはなかったが、合理的な選択も必要だ。
分杭平は、清潔に保たれた避難小屋があり、キャンプ場もバーベキュー施設もトイレもあった。数台のクルマが止まっていたが、人影がないので登山客だろう。1台のクルマは軽トラックで、いかにも農作業用という感じで、季節柄、近隣の農家の人が、茸採りに来たのかもしれない。ここで靴を履き替え、上着もパーカーに替えた。準備した3ℓの水を持ち、食料を持った。往復2時間ほどのトレッキングだが、万全を期すのが正しい姿勢だ。もちろん、ビールを持つことも忘れなかった。
クルマで登ってきた林道の風景は、カラマツ林だったが、次第に樺や椚(クヌギ)などの広葉樹が増え、分岐平からの登山道からは、白樺が目立つようになった。植生が変わることから分岐平と呼ばれるのかどうかは不明だったが、あの辺りに何らかの境界があることは間違いないだろう。
東の峰に到着すると私はまず諏訪湖を見下ろした。近くではそれほど綺麗に見えなかった諏訪湖だが、空の碧さをそのまま映した姿は、神秘の美しさを感じる。私は感じるままに太古に在った標高900mのラインの湖面を想像した。
下諏訪や岡谷、上諏訪の街並みは湖面に沈み、圧倒的な存在感で古代の湖が現出する。ブルーと周辺の常緑樹のコントラストと黄葉のグラデーションが、懐かしく思えるような感覚で瞳を刺激する。視線が意識に関係なく滑らかに西へ移動する。雪を被った北アルプスが空に浮かんで見える。左から乗鞍岳、焼岳、穂高、槍ヶ岳……そして白馬。安曇野はその裾に広がる。

北アルプス 遠景

さらに西に御嶽山と木曽駒ケ岳と連なる中央アルプス。
南に目を移すと南アルプスの彫の深い蒼い姿が、やはり空に浮かんでいる。圧倒的な展望だ。

車山から見た富士山

諏訪の地から歩いて3時間あればこの風景を見渡すことができる。古代の人たちは、洩矢の山で狩猟と採取を行い、その傍らこの山頂からどんな想いでこの風景を見つめたのだろう。私には全く想像できなかった。この手の風景を見るのは初めてではない。車山高原や霧ヶ峰からも、ほぼ同じ風景を見た。安曇野ではもっと迫る北アルプスと中央アルプスを見た。しかし、ここで感じていることはあの時感じたここと種類が異なる。
大自然の懐の深い美しい風景を見た時と共通する感慨はもちろんあるが、それだけではなく、もっと透明なもの、もっと純度の高い感性が、風が吹き上げる深い風洞から呼び起こされる感覚。それはどこか懐かしい風景が、急に記憶のスクリーンに現れたような感覚に似ていた。しかしそこから古代の人たちの想いを感じることはできなかった。たぶんもっと純度が高い想いなのだ。もっと遠くへ過去と未来を見つめた悠久の想いなのかもしれない。それほどの透明度が、古代の日本列島に存在したはずだ。
東に目をやると八ヶ岳が迫るように見える。最高峰の赤岳から天狗山、麦草峠から西へ蓼科山の懐の深い山麓には、縄文の人たちが古くから住み着き、生活の場とした領域だ。標高900mの古代の透明度の高い碧い湖面は、その近くまで迫る。

八ヶ岳連峰

そして蓼科山から車山高原、霧ヶ峰、和田峠へ続き、美ヶ原高原に至り、視線は空に凛として連なる北アルプスに戻る。
お土産屋が何軒か並んでいる鳥居に向かう参道をゆっくり走り、駐車できる場所を探した。参道に入る信号の県道脇に駐車場があるのだが、できれば近い場所に止めたかった。守屋山の山道を往復2時間ほど歩いてきたばかりで、いささか歩くのが億劫に思えたからだ。
一之鳥居の前をゆっくり走り、境内には置けないことがあらためて判った。5月に訪れた時の記憶でも境内には参拝客のクルマはなかった。境内脇に沿って守屋山に向かって登る道の先に、境内が途切れた感じの場所に駐車スペースがあった記憶がある。その記憶を頼りに鳥居の前の道を、ウィンカーを右に出して入って行った。
境内の古木の葉をつけた枝が、狭い道を覆うように繁る場所もあり、きっとこの先も前宮に沿っているという確信を得た。クルマがようやくすれ違えるほどの片側は民家が並び、さらに進むと記憶にある境内が途切れるようが場所あった。そこには弧然と沈む森に妖しく佇む前宮の拝幣殿が見えた。そして御柱。三之御柱は鬱蒼とした森の向こうに見えなかったが、三本の御柱は守屋山に続く麓から、碧い天に向かい、毅然と凛とした姿を見せていた。あくまでも寡黙に泰然と立っている。
やはり、同じ上社の本宮とも違う、さらに下社の秋宮と春宮とでは、まったく性格が異なる雰囲気が漂っていた。神格が違うのだから当たり前のことかもしれないが、神格の違いだけでは、すべてを説明できない何かがこの場所にあるように感じてならない。
空いたスペースにクルマを止めた。そしてドアを開けていつものようにルーフに肘を掛けてタバコを吸う。ルーフの向こう側に民家が何件か並び、南側の山裾の向かって小さな畑も見える。そこには、ごくありふれた地方小都市郊外の農村の日常を感じさせる温度があり、狭い道を挟んだこちら側の温度と明らかに違うことが解る。
「縄文の風を感じる」と言った星川香織の言葉をまた思い出した。御柱に視線を移した。
ここ前宮の拝幣殿辺りは古くからここは『神原』と言われている。神原は、“ミチャグチの神が降臨せし丘”という意味だ。さらに上代は、一之鳥居が立っているところが湖畔だった。前宮だけでなく、本宮も秋宮も春宮も標高800mの巨大な湖の畔に建っていた。

前宮 拝幣殿

前宮の境内に立っていると、何か、撮影することが忍びないように思えてくる。ここで感じたことを、体内に閉じ込めたままここを静かに離れていきたいようなそんな気持ちだ。守屋山の山頂とはまったく逆だ。あそこでは、憑かれたようにただ撮りたかった。かたちとして無性に残したかった。瞳に映る風景を自分の感受性を透過させ体内に入れるだけではなく、透過した時のその感じをフィルムに写し、未来永劫私の外側の記憶として残したかった。それほど壮大で美しかった。
でもここではそんな気が起きない。自分の感受性を透過させる。それだけでいい。それは“縄文の風”を感じているからかもしれない。あるいは、前宮に含まれてしまっているからかもしれない。
拝幣殿でお参りを済ませる。ニ拝ニ拍手一拝。願い事はない。
ここは“御神陵”と言われた場所で、古来、建御名方神と八坂刀売命の墳墓とされ、地元の人たちは、御神陵を中心としたこの一帯を“おやま”と言う。おやまは、大祝一族たちの墓地でもあり、近隣の者は怖れ多くおやまには入らなかったと言われている。かつて御柱で囲まれた御神陵には、中央部に古い藤の木が佇んでいるに過ぎなかった。その後仮屋と言われた“精進屋”が建てられ、長く精進屋一棟だけの時代が続いたらしい。精進屋は、大祝が30日間籠り、精進を行った場所で、風雨をしのぐためだけの茅葺の簡素な建物であったことが古い写真から窺える。
昭和7年、内務省の案でここに拝幣殿が造られ、現在の光景が生まれた。この光景は、前宮の歴史からすれば、真新しく短く、前宮の本質とは異なる物だと思う。精進屋が造られる前は、太古然とした聖なる場所で、太古の諏訪の祭祀場のスタイルが、ここに継続されていた。前宮の本質は、そこにある。
私は疑問に思うのだが、果たしておやまが古代・大祝たちの墓所なのか?
確かにおやま周辺には古墳や大祝の居住跡が見られるが、やはり御柱で囲われた場所は、ミシャグチ神を祀る中心的な存在であったと考えるのが、諏訪では、特に前宮では自然だと思う。
拝幣殿から鳥居に下る。

諏訪大社・上社・前宮

境内の中段に位置する東側の十間廊と参道を挟んだ西側の内御玉殿が、かつての前宮の神事の中心の場だった。つまり諏訪の神事の中心であり、ほぼこの施設だけで諏訪大社の神事が事足りていた。内御玉殿は、諏訪大明神が御座する場所と言われ、御神宝が安置されていた場所だ。その御神宝を持ったミチャグチ神が憑依した大祝の姿があったのだという。十間廊は、祭祀の他に政の色彩が加わる。前宮と大祝家への献上品がここに並べられ、政と祭を司る中心的な人たちがここに居並び、重要な政と祭はここで摂り行われた。その最たる神事が、御頭祭である。

十間廊

内御玉殿の後方に欅の古木が立っている。この場所は、土室跡で、かつて半地下式の土室が造られ、現神人の大祝や神長官以下の神官が参篭し、蛇形の御体と称する大小のミシャグチ神とともに冬ごもりをした遺跡地だ。この神事を「穴巣始(あなすはじめ)」という。かなり特殊な信仰だったらしいが、中世には途絶えてしまったと言われている。

十間廊から古いほうの石段を下りて、銅製の鳥居がある境内に着く。鳥居から離れ、鳥居から拝幣殿へ続く石段を見上げる。緩やかな勾配の石段が土室跡の古い大きな欅の辺りまでほぼ直線に続くが、その先にある拝幣殿は見えない。諏訪で最も誇り高い神域は、訪れた俗人の視線から配置によって護られているのか。そんなふうにも感じる。
本宮も秋宮も春宮も境内に杉の木が目立った。もちろん欅や梶の古い木もあるのだが、前宮の広葉樹の存在感には及ばない。季節柄半分以上葉が落ちているが、語りつくせぬ歴史を何世代にも亘り見つめてきた木々たちの寂寥とした佇まいから、威厳さえ感じ、木々にも神々しさを感じる。
拝幣殿の東側に沿って流れている清流がある。御手洗川という。この水は古来より“水眼(すいが)の清流”と呼ばれ名水として名高く、近年では科学的調査が行われ、優れた水質の名水であることが裏付けられている。最後に“水眼(すいが)の清流”に手を浸し前宮を後にした。

前宮 水眼の清流

(来年に続く)
提供は、エネルギーゼロ住宅を推進するカーサソーレの(株)サンビックでした。

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