木になる話 2 (続篇)

-続・ジョン・レノンは、日本に永住しようと思っていた!?-

 「ジョン・レノンは、日本に永住したいと思っていた」という話を聞いたのは、従姉の主人である音楽ディレクターからだけではなかった。  その頃、僕は、自分のホームページで住まいを構成する材料のほとんど(95%以上)に自然素材を使用し、自然の摂理と恵みを享受する住まい方、“オーガニックな住まい”を提案していた。

 まだ一般的に“自然素材の家”と言われる住まい造りの実績の枝は細く短かかった頃だが、その細く短い枝に小さな蕾のような若芽が萌え始め、ホームページへの反応から確かな反応と手応えを感じていた。

 読者とのとりとめのない“会話”が生まれたのは、読者との距離を縮め、フレンドリーな連帯と穏健な親密的関係を築きたい想いからだったと思う。 ビジネス色単色の内容では、そうした関係の構築が著しく阻害される。だから僕は、週に3回他愛のないエッセイを掲載した。それは幼い頃の自然への穏やかな憧憬の風景だったり、多感な頃ビートルズのサウンドに出会ったこととその影響や、感受性が深まる季節に魂のロックや思索的なジャズに傾倒していた自分の光景と周りの風景とその体験と東京物語。

そしてカラフルな風景と経験が瞬く間に通り過ぎていった、遠い南の島――沖縄・バリ島・カリブ海の島々……――でのこと。 歴史を逆流するかのように興味が湧くままに、古い神社仏閣や古墳を巡り、古い街道を歩いたこと。デジャヴを感じ、高校1年の頃から毎年のように行った古都・鎌倉の四季や11月の季節外れの軽井沢の凛とした風景……

 そんなことでオーガニックな住まい造りに興味を持つ人だけではなく、他愛のないエッセイに興味を示し投稿してくれる読者も生まれ、また両方に興味を示してくれる人も増え、投稿欄は、ある種のサロンと化し、親密的で楽しい会話が生まれ続け、僕とひとりひとりの投稿者の間だけではなく、投稿者の間の距離も縮まり、親密的な雰囲気が生まれ、良好な関係が築かれていった。

 その投稿者のひとりに南田優子さん(もちろん仮名)という方がいた。彼女は僕よりいくつか年上で、現役のシンガーソングライターだった。

 彼女は、武蔵野音大を卒業後、スタジオシンガーとして数多くのCMソングを歌って活躍し、ジャズとボサノバのライブ活動を重ね、レコードデビューを果たした人だ。僕と同じ世代か、少し下の世代の人の多くの人が、彼女が歌ったCMを見たことがあるはずだし、口遊んだはずだ。 ただ彼女は、ポピュラー音楽界の中央路線を歩いている人ではなく、ジャズやボサノバを愛聴する中でも、どちらかといえば、マイノリティに属することと詩的な風景と思索の世界を好む人たちから支持されていた、芳醇で繊細な感受性と多彩な才能と可憐な美貌を持ち合わせた人だった。

 彼女が初めて投稿したのは、他愛のない稚拙なエッセイ・軽井沢シリーズを掲載していた頃だ。

彼女は、冒頭いきなり 「ジョン・レノンは、軽井沢の林をとても愛していました。ジョンには、軽井沢にずっと住み続けたいという想いが、少なからずあったようです……」

  僕は彼女の言葉とその意味に深く惹かれた。二人の音楽関係者からもたらされた、同じ意味合いを持つ事の内容とそのトピック性と意味の大きさに、再び震えるような微熱感覚が生まれた。 彼女は、ジョン・レノンが軽井沢に住み続けたかった想いを伝えてくれたばかりではなかった。彼女とは、多様に多面的な会話が生まれた。その中でもっとも時間を費やしたのは、彼女自身が『化学物質過敏症』を発症し、長い苦悩の中にいることについて、話したことだ。

                                続く……

                              文責・伊集院君

 


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