木の文化人/続・柔らかい住まい

日本の伝統的な住まいは、室内の中心から外へ向かい静から動へ。
その静の空間である畳が敷かれた座敷は、何の目的で使うかという明確なものはなく、ただ8畳とか10畳の空間に開放的な建具である障子や襖が引かれただけで、自由度の高い空間でした。
固定観はなく臨機応変に使われ、どこに座ろうがどこで横になろうが勝手次第で、日常的に居間として使われていても、客が来れば家族の寝室になり、家族の寝室は客間になる。障子や襖を取り払えば、大きな空間が演出され、冠婚葬祭はもちろん、地域の公民館としての役割を果たしたりもしてきました。
田舎では、小さな地域単位の土着的な祭りが今も存続していますが、祭り担当が年毎順番に廻り担当の家は“宿”と呼ばれ、家を開放し参加する人々の飲食の場となる。(最近は公民館が使われることが多くなりました)

京都 嵯峨嵐山 天龍寺 方丈

融通無碍な空間でプライバシーも何もあったものではありませんが、こうした開放的な住まいの形態に混乱が起らず、長い間継続され続けたのは、生活者の根底に融通無碍に対応できる柔らかい住まい方の精神構造が育まれてきたからです。
自然観から派生するおおらかさと寛容性、その中で培われたルールがあり、そうしたものに、仏教や儒教の影響を受けながら日本独特の礼法が生まれました。特に“禅”が中国的な色彩から日本的な色彩に消化されて行く中で、日本の隅々に縦に横に広く浸透し影響を与えたことは大きな意味を持ちます。
華道や茶道は、静なる座敷での立ち振る舞いに、こうした流れの中から生まれた精神性が絡み合い昇華したものです。
日本人は人も住まいも自然界の一部だと考えながら、その中で人間はとても精神的な存在として受け取り、個別的にではなく全体として住まいを捉えてきました。

京都 嵯峨嵐山 宝厳院 茶室

ヨーロッパでは内部空間を作る時、人間を生物として生理的な存在として捉えます。生物は、食べ、排泄し、眠る。それに正面からぶつかり分析し物理量として合理的に解決していこうとします。排泄は水に流してしまおう。水で洗えば清潔である。確かに・・・・・・
日本では、精神的な人間がこの世を仮の住まいとし、自然の中に適応して暮らしているのだから、排泄は意識の外にあり設備を作ろうとしなかった。適当な場所で適当に済ませればいい。川があれば好都合だ。かわや=川屋=厠的な発想が生まれました。厠は、私たちが小さい頃までは、外にあったり、渡り廊下で渡されたりしていました。
厠的な発想と不浄感が結びつき、住まいの中に内包してこなかったのです。
ヨーロッパでは、排泄物は洗い流す、人間の汚れも同じ感覚でクリーニングする。汚れた分だけ浴槽内で体をクリーニングし、同じ役割のものは――お風呂、洗面所、トイレ――同じ空間に収めるという実に合理的な考え方です。そして体を清潔にするだけの空間だから窓もいらない。
日本の入浴はそうはいかない。 入浴は単に体を清潔にするだけのものではなく、体を安める場であり、唯一家族から開放される個人の休息の場でした。
窓を開け松の枝越しに月を愛で、星空に瞑想する哲学的な空間であり芸術的な追求の空間でもありました。

京都 嵯峨嵐山 宝厳院 山門

銭湯に行ったことがありますか?
たちが学生の頃は、学生が住むようなアパートにお風呂が付いていないのはあたりまえで、かぐや姫の『神田川』のように、小さな石鹸をカタカタ鳴らしての銭湯通いです。ほとんどの銭湯の浴室の壁には、日本の風景が描かれていました。海岸の松の枝越しに望む富士山であったり、鶴が舞う富士山だったり・・・・・・富士山の人気は根強かったです。たとえ絵であっても、擬似的な自然がそこにあると何となく寛げる。
素晴らしい感覚ですね。

嵯峨野 竹林

(終わり)
提供はエネルギーゼロ住宅を推進するカーサソーレの(株)サンビックでした。
また柔らかい住まい方という意味では、風を自由に流せる空間は、自然を五感で感じることができる。このような空間を“風流”と言う。
日本人の柔らかな住まい方は、風流にも通じます。

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