木の文化人/森を巡る話

日本列島の中央に縦長に山地山脈が連なる森林国。森林面積は実に67%という緑に溢れた国です。
この国で文化が認められる縄文時代から、人々は深く森林と関わるようになりますが、その太古の森は、時の流れとともに自然更新され、あるいは、人工的に更新された森を生み出し、日本国土を覆い続けています。
この中で手つかずの天然林面積は、ここ40年で約70%激減し全森林面積の11%しか残されていないのが懸念されます。しかし、森林が国土を占める割合が、70%近くにも及び、数十年前とほぼ変化がないのは、地形状の理由もありますが救われる思いです。

森林面積がこれだけ残されているのは縄文時代から、脈々と流れ続けてきた日本人の森林との共生志向を証明するもので、依存により喪失した森林を、人工的に再生している日本の森林の産業形態を物語っています。

これはとても大切な日本の財産です。失ってはならない衰退させてはならない産業です。

乗鞍高原

日本人は森林と深くかかわり、その恵を求め、特に伝統的な住まいの材料のほとんどは現在も森林から与えられたものです。その建築用材は、縄文時代を除きすべての時代を通じて針葉樹中心に用いられ、特に宮殿、寺社建築にいたっては、そのほとんどがヒノキで作られています。

古事記の中にこんな話があるのをご存知でしょうか・・・・・・神話時代のスサノオの話です。スサノオは、葦原中津国の国造りの中でこんなことを言っています。

「韓郷(からくに)には金銀があるのに、わが子孫が治める国に船がなかったら一大事だ」と金銀を求め朝鮮半島と交易できるよう船材の工面をします。

そしてスサノオが髯を抜いて放つと杉の木となり、胸の毛を抜いて放つと桧になり尻の毛は槙の木になり、眉毛は樟の木となりました。こうして、葦原中津国は、森林に覆われる緑美しい国土になるわけです。

スサノオはさらに続けます。

「杉と樟の木は舟を造るのによい。宮は桧で造るのがよい。槙は寝棺を作るのによい」

このことは、古代において日本人が森林と深くかかわり、造船も発達して朝鮮半島と盛んに交流していたことを言っています。さらに木の適材適所が確立していたことが伺えます。

スサノオの話の内容が空想的な神話でないことは、古代遺跡からの発掘で証明されています。スギの赤味や芳香の強いクスノキが、水に強いことが知られていたことは、遺跡から発掘されるスギやクスノキ丸太をくりぬいた船や、稲作で使う田船や田下駄がスギであっことから分りますし、宮殿や神社仏閣がヒノキで作られていることは言うまでもありません。

マキが棺桶に使われていたことも、古墳時代の木棺の出土で明らかです。マキは、ヒノキ以上に水に強く腐りにくい木です。長い経験の蓄積から得た洞察力、見識に驚きます。まさに、日本人は木の文化人ですね。

 

乗鞍高原

 

古代から日本人がいかに深く木と接していたか、古事記のこの一説からも分ると思います。少なくても、古事記編纂にとりかかった、持統朝の頃には、あたりまえの適材適所になっていたのでしょう。

*現在は考古学的な発見から、少し事情が異なります。縄文時代の東北地方では、クリ材がたくさん使われていました。耐水性、防蟻性が高く耐久性は抜群。加工もしやすく、石器でも加工が可能だったからです)

 

縄文時代から森林と共生しながら、列島の緑を守り続けてきた歴史を歩んできた日本ですが、ヨーロッパではどうでしょう・・・・・・

古代のヨーロッパは広大な森林地帯でした。暗黒の森と言われるくらい鬱蒼とし深く広大な森林に覆われていたのですが、AD100年くらいまでに西ローマ帝国がアルプスを越え、西ヨーロッパに侵入すると、現在のスペイン、ギリシアはもちろん、オーストリア、フランス、イギリスにも及び、征服と統治の過程で森林の大伐採が行なわれました。さらに3世紀のゲルマン民族の大移動、建国という過程でヨーロッパの広大な森林の実に90%以上が伐採され喪失してしまったのです。

わずか300~400年で、この様相は凄まじいという以外の言葉が見つかりません。相当積極的な農耕民族だったのでしょう。彼らは、森林を農地に変え、経済を生み、文化を創造してきた民族で、彼らにとって自然は敵対し、自然は征服するものだったのです。日本人の森林との共生と対極にあります。

現在のイタリア半島やバルカン半島は、緑が少なく白い砂が目立つ風景ですが、ローマ帝国繁栄以前は、緑に溢れていました。ギリシア、ローマ神殿の屋根材は木材です。古代には、木材となる木も充分あったわけです。

八千穂高原


古代の森の話でしたが、国土の約70%を森林が有していると言っても、日本の森林事情は深刻です。

戦時中にエネルギー確保のため、木を伐りつくしてしまったかのような山に、戦後、経済性の高いヒノキ、スギを中心とした針葉樹を林野庁の掛け声で、国有林も民有林もこぞって植林したわけですが、マイホーム建築ラッシュが始まる60年代になると、安価な輸入材の波が押し寄せ、国産材の使用は一気に減少します。

65年の木材自給率は73%ありましたが、80年には20%になり、現在も国産材の需要は増えることなく19%と低迷したままで、民有林も国有林も伐採期を迎えたままの森林が放置状態です。伐採、植林と更新しない人工林は、無益な荒れ果てた森林に向かい続けるでしょう。

林野庁は独立採算方式を取っており、行き詰った森林経営のために、価値のある、樹齢の高い広葉樹を求め、貴重な天然林の伐採に走り、その手は奥山まで延び、伐採された跡には、針葉樹が植林され、人工林の支配を受け続けています。現在もこの流れは変わっていません。しかし、その針葉樹も輸入材に押され売れない・・・・・・まったくの悪循環です。こうしているうちの林業者は老齢化し後継者も育たないまま、滅び行く産業と化しています。

天然林に住んでいた動物たちは追い立てられるように迷い移動し、人里に降りて農作物に食い荒らします。動物は動けるからまだいいですが、動けない植物は絶滅するものも少なくありません。

八ヶ岳

木造新築住宅は、時代により増減はありますが、建っている。しかし、輸入材ばかりが使用され国産材が使われない。だから森林が荒廃する。家を建てる人も、建築関係者も自分たちの環境の首を絞めるようなこれまでの行為、何とかならないものでしょうか。家を建てる時、一言「国産材でお願いします」と言えば、展開は違ってくるのです。

国産材はけして高いものではありません。これは、制度ではなく意識と知識と認識の問題です。あとで述べようと思いますが、国産材で造った家は、居住性も健康性も耐久性も勝ります。また、地産地消は食糧だけではありません。地球の裏側から大量の重油を使い、日本の気候風土に合わない輸入材を持ってこなくても、充分足りるのです。

こうした現状の中で、一部の環境保護運動家、あるいは環境保護の意識の高い方の中には、天然林に取って代わった人工林を、親の仇のような見方をする人がいます。割り箸パッシングと同じような狭い見方で森林を捉えているのです。

人工林は、人工的な更新があって初めて保たれます。森林の全体の維持も人工林の更新があって初めて可能になります。その中で、天然林を奥山から作っていく。少しずつ天然林に場所を返して行く。とてつもなく気が遠くなるほどの時間はかかりますが、北朝鮮のように再生不可能な状態に陥ったわけではありません。森林は70%維持しているのです。

そして、木の文化人たちも、少なくなったとはいえまだ息づいています。

森林は海と同じ生命の源です。海が母なら森林は父です。

(つづく)

提供はエネルギーゼロ住宅を推進するカーサソーレの(株)サンビックでした。

 


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